先ごろ、信州大学医学部 子どものこころの発達医学教室教授で医師の本田秀夫先生をお招きして研修会を開催しました。
「育ち方の多様性をリスペクトする社会のあり方」をテーマに、自閉スペクトラム症(ASD)の子どもの発達と成長、そして彼らを取り巻く環境を中心にお話いただきました。
今回は、この研修会をダイジェストでお送りします。
「普通」と「正常」の違いとは?
生物において、「普通」とは正規分布の平均値や中間値のことをいいます。たとえば、平成29年時点の日本に住む高校生の約62%が近視です。
つまり、日本の高校生が近視であるということは「普通」のことなんですね。
しかし、近視はあくまでも視力が1.0以下になる目の病気です。
彼らにとって近視であることは「普通」ではありますが、病気である以上「正常」ではないということです。
子どもの行動の背景にある心理状態をしっかりと確認する
「他の子と違うかも…」と感じることは誰しもがあると思います。しかし、「違うかも」と違和感を覚えたからといって、一律の発達過程に当てはめる必要はありません。
発達は一人ひとり違って凸凹で当たり前。
まずは子どもの行動の背景にある心理を知り、その子に合った支援を検討することが大切です。
子どもの行動の背景には、もしかしたらこんな心理が隠れているかもしれません。
他の子がやりたがることを「やらない」ことが気になる
- 単に気分じゃない
- やるべきことだと気づいていない
- やりたいけれど、気後れしてなかなかできない
- 能力的にできない
他の子がやらないようなことを「やる」ことが気になる
- そもそも「やってはいけないこと」だということを知らない
- やってはいけないことだと分かっているが、どうしてもやりたい
- その子だけが興味を持っている
- 他の子にはできないことができる
一見すると他の子と同じように振舞っているが、他の子が考えないようなことを考えていることが気になる
- やりたくないけど、ルールだから仕方なくやっている
- やりたくないけど、怖くて断ることができない
- 他の子は嫌々やっているが、ひとりだけ内心楽しくやっている
- ルールや理由は理解できていないが、他の子を真似てやっている
自閉スペクトラム症(ASD)の子どもの「過剰適応」
特に自閉スペクトラム症(ASD)の子どもは、一見すると他の子とあまり違いはないように見受けられます。しかし、心理的背景を知ると、本人にとってはとても強いストレスに晒されていることがあります。
「過剰適応」とは?
自分のやりたいことや都合を過剰に我慢して、周囲に合わせて無理に頑張りすぎること。特に自閉スペクトラム症(ASD)の人は「社会的カモフラージュ行動」を取ることにより、「過剰適応」してしまうことがあります。
「社会的カモフラージュ行動」とは?
自閉スペクトラム症(ASD)の人が、通常の人たちのコミュニティに適応するために社会的場面において取る対処行動をいいます。意識的・無意識的に通常の人たちの行動を模倣することによってASDであることを隠そうと行動します。しかし、本人にとってはこの行動が重いストレスとなり、うつ状態になりやすいといわれています。
Aさんは「イヤイヤ」もなく、他の子と同じように保育園で過ごしていたので、保育園の先生はAさんが発達障害だとは気づきませんでした。
しかし、実はAさんは保育園で毎日強いストレスを受けていました。
<ストレス例>
・昼食時、周りがうるさくて頭が痛くなりイライラしていた
・何かをしているときに邪魔をされるのがすごく嫌だった
・ごっこ遊びが嫌いだった
・人の口に触れたものには触りたくなかった
・大きな声であいさつされるのが嫌だった
・粘土の匂いが嫌だった
家族がAさんの様子が気になり病院を受診したところ、自閉スペクトラム症だと分かりました。
「どうして我慢していたの?」とAさんに聞くと「みんながそうだから、私もそうしないといけないんでしょ」と、周りに必死に合わせていた気持ちを教えてくれました。
周りがみんなやっているからAさん自身もやらなければいけないと思い込み、「嫌だ」「つらい」をずっと言えなかったんですね。
他の子は好きでやっているけど、Aさんは我慢し、必死に頑張って周りに合わせていたんです。
発達心理学の意義
本来、発達は一人ひとりバラバラで凸凹であるのが当たり前です。子どもの発達は多様で、いろいろな領域が同時に均等に伸びることはありませんし、その子の特性は大人になってもある程度は残るものです。
しかし世間では、すべての子を定型発達に沿わせようとする傾向があります。
「○歳ではこういうことができているはずだから、家族は子どもができるように頑張りましょう」という発達課題のノルマ化をしてしまっているところがあります。
これでは、本来の発達心理学の意義から離れてしまっています。
「正常」と「病気」ではなく、「多数派」か「少数派」の違い
自閉スペクトラム症(ASD)の人のコミュニケーション目的と、自閉スペクトラム症(ASD)ではない人のコミュニケーション目的は違うものであると理解する必要があります。
▼自閉スペクトラム症(ASD)的コミュニケーション
- 情報を交換することが目的。
- 興味のない話題では、会話の必然性がない。
▼自閉スペクトラム症(ASD)ではない人のコミュニケーション
- 他者とコミュニケーションを取ることが目的。
- 間を埋めるために、興味のない話題でも仕入れることがある
自閉スペクトラム症ではない人は、他者とコミュニケーションを取ることを目的に会話をしているので、
「駅前のケーキ屋さんのモンブランが美味しいんだって」
「そうだんだ、今度行ってみようかな」
「行ってみて!あ、ショートケーキも美味しいらしいよ」
「えー、迷うな~!」
と、本気で駅前のケーキ屋さんに行く気がなくても間を埋めるために会話を続けます。
しかし、自閉スペクトラム症の人の会話の目的は「情報交換」であるため、
「駅前のケーキ屋さんのモンブランが美味しいんだって」
「私はケーキに興味がないので」
と興味がない会話は終わらせてしまいます。
自閉スペクトラム症ではない人からすると「この人コミュニケーションを取る気がないのかな?」と感じてしまうかもしれませんが、これは単にコミュニケーションのスタイルが違うだけです。
「ちょっとおかしいかも」と感じてしまうのは、コミュニケーションの目的が多数派だから覚える違和感であり、この違いは「正常」や「病気」といった基準ではなく、自閉スペクトラム症の人のコミュニケーションの目的が少数派だからというだけなのです。
自閉スペクトラム症(ASD)の子どもの「好み」を大人の基準に当てはめていないか?
自閉スペクトラム症の人は、下記のようなこだわりを持っている人が多いです。- 関心:特定のものに強い興味を持つ。反面、それ以外のものにはほとんど興味がない。
- やり方:特定の手順を繰り返すことにこだわる。常同的な動作を繰り返す。
- ペースの維持:他者にペースを乱されたくない。
人は障害の有無にかかわらず、誰でもそれぞれの「好み」や「好き!」があります。
しかし、発達障害がある子に対しては、何故か大人の事情に合わせて無理やり「好み」を変えさせようとする傾向があります。
たとえば下記のように、自閉スペクトラム症の子の「好き!」を無理に大人の「好み」に変えさせようとした例があります。
その子はミニカーを並べるのが「おもしろい!」「楽しい!」と思って遊んでいました。
しかし、「ミニカーは走らせて遊ぶもの」という大人の「好み」を押し付け、無理やり走らせて遊ばせました。
結果、元々感じていた「おもしろい!」「楽しい!」を失くしてしまった子どもは、ミニカーで遊ばなくなってしまいました。
これまでは子どもの様子から「見守る」スタイルを取っていましたが、ある日「子育ては母親の愛情が大事」という話を聞いた母親が、子どもとなるべく多く一緒に遊ぼうと声掛けやハグなど積極的に関わるスタイルに変更しました。
すると「お母さん、何も話さないで見ててくれるのも『好き』っていうことなんだよ」と子どもから言われました。
自閉スペクトラム症の子にとって、安心や安全、他者からの「好き」を感じる基準は「愛情」ではなく「法則」です。
この子にとっては、いつもと同じことをしてくれる母親に安心や「好き」を感じていたんですね。
保護者や支援者が発達障害の子どもにするべき支援
「せめてこれくらい」はNGワード
子どもの成長を願うがゆえに「もう○歳だから、せめてこれくらいできないといけない…」と考えてしまう保護者さまや支援者さんも多いのではないでしょうか。しかし、「せめてこれくらい」はお子さまの「苦手」や「できない」部分にばかり目が行き、「得意」や「できる」部分を見逃してしまっている可能性があります。
誰しも「苦手」や「できない」ことはあります。
「苦手」は「苦手」、「できない」ことは「できない」と受け止め、まずは支援者や保護者がいかに「せめてこれくらい」という気持ちを乗り越えて、子どもたちの「得意」や「できる」部分に目を向けられるかが大切です。
子どもが社会に出る上で大切な自立スキルとソーシャルスキルを身につける
子どもが社会に出る上で、「自立スキル」と「ソーシャルスキル」を身につけることはとても大切です。- 自立スキルとは:自分にできること・できないことの判断ができる
- ソーシャルスキルとは:できないことについては他者に援助を求めることができる
しかし、逆にこの自立スキルとソーシャルスキルが身についていないと、できないことを無理にやろうとして潰れてしまったり、不要な挫折を経験してしまったりします。
そのようなことがないよう、上述した「せめてこのくらい」はNGワードと理解し、保護者や支援者は「あなたはこれが苦手なんだね」「あなたはこれが得意なんだね」と苦手と得意を肯定し、得意なことをどんどん伸ばしてあげましょう。
その子の得意なことは、きっと誰かの苦手を補うことになるからです。
そして、自分の苦手なことは他者に援助を求め、補うことができることを教えてあげることが大切です。
少し長くなったので、今回はここまで!
次回は研修会まとめの続き、
取り組むべき多様性をリスペクトする社会についてお話します。